vol.176 シェル・シルバースタイン

道徳支配の枠の外で ー
喧騒と静謐のアウトロー、シェル・シルバースタイン

AMERICANMUSICJOURNEY
アメリカ音楽の旅
column vol.176
文 = 島田 耕

シェル・シルバースタイン・ソングの真の理解者だったアウトロー集団、
Dr・フック(レイ・ソーヤー/左端)とメディスン・ショー

 生誕・没○○年ともてはやされるアーティストとは一線を画し、時代を超えてマニアックに支持されるアーティストは多くない。カントリー、フォークのシンガー・ソング・ライターとして知られるシェル・シルバースタイン(1930ー1999)はそうした人の一人である。画家、絵本作家、詩人、シンガー・ソング・ライターと多彩なジャンルに挑み続けてきたアーティストだ。

 ジョニー・キャッシュのライヴ・アルバム『JOHNNY CASH AT SAN QUENTIN』(1969/CBS)収録の「スーという名の少年」と、シルバースタイン作品で構成された『DR. HOOK & THE MEDICINE SHOW』(1971/CBS)を介して彼のアルバム『FREAKIN’ AT THE FREAKERS BALL』(1973/CBS)ではじめて聞いた不快なガラガラ声、スキンヘッドに極太眉毛、口髭、顎髭ぼうぼうたくわえた、国籍定かならぬ容姿と風貌から誰も彼がまさか『アンクル・シェルビーズ・ABC』や、日本でも翻訳本が出ている『おおきな木』『歩道の終るところ』『屋根裏の明かり』といった名作絵本のベスト・セラー作家、詩人としてアートの世界では1960年代のはじめから世界に名を馳せる人物だったとは俄かには信じ難い。




 しかし、日本でもイラストレーションの世界、なかでもアメリカでは「カートゥーン」と称される風刺漫画の分野では『プレイボーイ』誌創刊以来の、また『タイム』誌の一コマ漫画の作者として知る人ぞ知るマニアックなファンを持つアーティストだった。そういわれて見る彼のそのアルバム・ジャケットのスターンウェイをシルバースタインと茶化したピアノの前に座って大口を開いて目をむいたジャケ写に彼の風刺漫画家の一端を垣間見ることが出来る。鬼才、異才、異色、異端のシンガー・ソング・ライターという言葉は既にそこに描かれていた。

良識からはみ出した視点で描く異端のシンガー・ソング・ライター、
シェル・シルバースタイン(CBSのアルバム・ジャケットより)

 そんなシルバースタインがアメリカのミュージック・シーンで脚光を浴びたのは「スーという名の少年」のヒットによってであったが、この歌は1968年の自身のRCAアルバム『A BOY NAMED SUE』の、女の子の名前を付けられた少年の親殺しという黒い笑いをまじえた衝撃的な内容の表題曲に惹きつけられたジョニー・キャッシュが、サン・クエンティ刑務所の放送禁止用語入りコンサート音源を不道徳極まりないという周囲の反対を押し切ってシングル・カットして一九六九年にNo.1カントリー・ヒットさせたという背景がある。ちなみに全米ポップ・チャートではローリング・ストーンズの「ホンキー・トンク・ウーマン」の牙城崩せず最高二位に終わったが、キャッシュの歌によってシルバースタインの存在はシンガー・ソング・ライターとしても世界に名を馳せることになった。

 彼の音楽キャリアは「グランド・オール・オ―プリー」でカントリーを聞いたシカゴの少年時代に始まり、1957年にはジャック・エリオットとローマのレストランでカントリー・ソングを歌ったと記録されている。シルバースタイン27歳、アメリカでフォーク・ソング・リバイバルが始まったころだ。レコーディング・キャリアはエレクトラ、アトランティック、RCAを経てCBSで人気を得るが、彼の作品をキャッシュに紹介したのが実はチェット・アトキンスだったという話がある。もしそうだとしたらこの意外性はチェットがジョン・ハートフォードに注目したことからグレン・キャンベルに歌われ1968年にヒットした「ジェントル・オン・マイ・マインド」と同様の因縁を感じられてならない。

 シルバースタインは、ソング・ライターとしてフォーク・ファンにはジュディ・コリンズ、モダン・フォーク・カルテットの「シャイローの丘で」、ポップ・ファンにはアイリッシュ・ローバーズの「ユニコーン」の作者として知られていたが、Dr.フックが1972年に放った「シルビアズ・マザー」「憧れのローリング・ストーン(の表紙)」「キャリー・ミー、キャリー」といったヒット曲と、クリス・クリストファスン、トムT・ホールの作品でナッシュビル・サウンドのカントリー・スターからシンガー・ソング・ライター系ニュー・カントリーに転じたボビー・ベアの名作となるシルバースタイン・ソング・ブックともいえる1800年代のフォーク・ヒーローからイージー・ライダーにいたるアメリカ民衆の歴史を描いた『BOBBY BARE SINGS LULLABYS,LEGENDS AND LIES』(「子守唄と伝説とホラ話」/1973)と、まるで30年代に逆戻りしたような苦境の時代のいまを生きるテネシーの主婦やミシシッピーの農民やニューヨークのタクシー運転手の生活を歌った『HARD TIME HUNGRYS』(「苦境の時」/1975)が登場することによってシルバースタインは、折からのカントリー・ロックの波に乗って起こったウイリー・ネルソン、レオン・ラッセル、ウェイロン・ジェ二ングスの「アウトロー・カントリー」と呼ばれた新しいカントリー・ムーヴメントに吸収され、カントリーのシンガー・ソング・ライターとしても認識されるようになった。

 アウトローとは一般的には法的な規範に従おうとしない「無法者」を指すものとして使用されている。しかし本来の意味からするとアウトローは「法外」にいる人々と理解したほうがよさそうだ。つまり、法に従わないのではなく、最初から彼らは「権力による法支配の埒外」にいるのである。シルバースタインやジョニー・キャッシュやウイリー・ネルソン達カントリー集団はさしずめ、音楽産業の権力の法支配から相対的に独立し、そのことを音楽産業から黙認されているような組織、勢力と位置付けることができるだろう。

 彼の作品には『苦境の時』のように同時代に向かって語りかける作品もあれば、「スーという名の少年」のような黒い歌も、ドラッグの歌もある。男の女々しい愛の歌にもこと欠かない。彼がそうした歌を一聴してそれとわかる愕然とするような声で吠えるように歌った途端に彼の描く絵が浮かぶ。それほどに彼の書く歌はイラストレイテッドなのだ。しかし、それがひとたび他人の手にかかると実に辛辣で滑稽な作品であっても静謐漂うバラードとなりうるのだ。厳粛であるべき時に厳粛でないことを言う。そういう、ある種の不隠当さがシルバースタインのジョークの本質にはある。そうした喧騒と静謐、二面持ったシルバースタインの歌の本領をもっとも巧みに歌い表現したのがレイ・ソーヤー( Dr. フック)率いるメディスン・ショーだった。CBSデビュー・アルバム『DOCTOR HOOK』と第二作『DR. HOOK SLOPPY SECONDS』の全二十二曲をシルバースタイン作品で構成、前記ヒット曲をものにした間柄。共にスターダムをのぼりつめた因果に結ばれたソウル・メイトであった。

 シルバースタインを最後に聞いたのは1980年のナッシュビル録音『THE GREAT CONCH TRAIN ROBBERY』(フライング・フィッシュ)だった。そこで聞かれたシルバースタインは健在アウトローの語り口ではあったけれど、破綻なきナッシュビル・セッションではかつての毒が薄められ物語の醍醐味の手前の、エキスにとどまっていると聞こえた。それでも宝石を手にしたような喜びと充実感を覚えたのは、彼には幾重にも伝説のオーラが取り巻いていたからだろうと思う。かくも愛されるアーティストはそうはいない。

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