vol.184 ロックンロール黄金時代 最後のヒーローとして活躍したエディ・コクラン

ー エデ ィ・コクラン、黄金時代への郷愁 ー

AMERICAN MUSIC JOURNEY
アメリカ音楽の旅
column vol.184
文 = 島田 耕

 どんな文化にも天才が集中して出現する黄金時代がある。ロックンロールなら1955年から1960年。エルヴィス・プレスリーの成功に触発されたカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュ、リッキー・ネルソン、エヴァリー・ブラザーズ、ロイ・オービソン、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ポッパー、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクランといったロックンローラーが台頭、アメリカのみならず世界でセンセーションを巻き起こし、エディ・コクランが自動車事故で他界した1960年までの5年間だったといえる。

バディ・ホリー、エディ・コクランを愛してやまない
元コマンダー・コディ&ロスト・プラネッツ・エアメンの
名ギタリスト、ビル・カーチェン
(At Sunset Grill」Washington D.C − April 2000, Photo by Shimada Tagayasu)

 カール・パーキンスがエルヴィスに追いつけ、追い越せと「ブルー・スエード・シューズ」で登場してきたときは手法の斬新さに驚き感心しながらも、誰もが「エルヴィス入ってる」と揶揄したものだ。ところが、それから1年、エディ・コクラン( Eddie Cochran )が「バルコニーに座って」(「Settin' In The Balcony」)で、翌1958年にジェリー・リー・ルイス( Jerry Lee Lewis )が「火の玉ロック」(「The Great Balls Of Fire」)でデビューしたときはモチーフといい、反復されるビブラートといい、早くも「エルヴィスの代わり」が現れたのかなと思わせたものだ。

 「ハートブレイク・ホテル」(1956年4月/RCA)から「思い出の指輪」(「Were My Ring Around Your Neck」/1958年4月)のヒットにいたる2年間に「Hound Dog」「Jailhouse Rock」など10曲のNo.1を含む29曲をヒットさせ、既にティーンエイジ・アイドルから国民的スーパー・スターとなったエルヴィスについて言えば、初期サン・レコード時代(1954年〜1955年)の既成のカントリーやポップスに牙を向いた破壊的で野生を剥き出しにした、挑みかかるような反抗のシンボルとしてのロックンロールに対し、RCA移籍後のメジャー・レーベルらしい入念なロックンロールはサン・レコード派の若者に容易い感情移入をさせるものではなくなっていたのかも知れない。エディ・コクランの登場は、エルヴィスの兵役(1958年〜1960年)というハプニングも手伝ってマーケット的にもファンの精神的にも次のバッターが求められていたときだった。

ロックンロール黄金時代
最後のヒーローとして活躍したエディ・コクラン

 バディ・ホリーBuddy Holly、リッチー・ヴァレンスRitchie Valens)、ビッグ・ポッパー(Big Poppa)の3人のロックンロール・スターが乗った飛行機が墜落したのは1959年2月。その時エディは「サマータイム・ブルース」(1958年)でエルヴィス後のロックンロールを担うシンボル的存在であった。事故からほどなく「スリー・スターズ」を録音して3人を追悼したエディだったが、まさかその1年後に彼もまたイギリスで事故死するとは考えもしなかったことだ。人気絶頂のロックンローラーの相次ぐ不幸に加えて、ジェリー・リー・ルイスの未成年少女との婚姻というスキャンダルが追い打ちをかけ、1960年を境にロックンロールは凋落の一途を辿り、真に輝かしい時代はあっという間に過ぎて、後世はその遺産を繰り返し味わうことになる。

 エディ・コクランの死によってロックンロールの黄金時代は幕を下ろしたけれど、日本のロックンロールの夜明け、日劇『ウエスタン・カーニバル』は皮肉にもエルヴィスが兵役に就いた1958年2月から始まり、エディが亡くなった1960年に頂点に達した。日本のロックンロールとエディの蜜月のはじまりは『ウエスタン・カーニバル』だった。

 『女はそれを我慢できない』(原題『The Girl Can't Help It』/1956年20世紀FOX)という映画があった。それは第2のマリリン・モンローといわれたグラマー女優ジェーン・マンスフィールドばかりが話題になったB級映画だったが、秘密めいたタイトルとマンスフィールドの巨大なバストに妄想をたくましくさせながらもジーン・ヴィンセント、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャードと共にエディ・コクランというレコードやラジオでしか聞いたことがない憧れのスターが、銀幕の中で歌う姿が見られる唯一の映画ということで話題になった映画だった。この映画でエディが歌った曲は当時まだ録音もしていなかった「Twenty Flight Rock」だったが、映画公開に合わせて発売されたリバティ・レコードからのデビュー・ヒットとなったのが「バルコニーに座って」だった。それを、劇中のエディのパフォーマンスをすっかり真似て『ウエスタン・カーニバル』で歌ってスターになったのが山下敬二郎だった。そのときリトル・リチャードの「ジェニ・ジェニ」を歌ったのが平尾昌章、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ルーラ」を歌ったのがミッキー・カーティスだった。劇中歌3曲を歌ってロカビリー3人男は誕生した。映画『女はそれを我慢できない』は日本のロックンロール・ブームに及ぼした最大の功労者といっても過言ではない。当時もし日本のロックンロール・シーンにエディ・コクラン像というものがあったとするなら、それは山下敬二郎のパフォーマンスに負うところが少なくないだろう。

 エディは1938年ミネソタの出身。1954年にLAで、後にカントリーのソング・ライターとして大成するハンク・コクランとカントリー・デュオ、コクラン・ブラザースを組んだこともあるが、コンビ解消後に舞い込んだ映画『女はそれを我慢できない』出演を契機に成功。イギリス公演を終え、帰国のためにジーン・ヴィンセントと共に車で空港に向かう途中の衝突事故で亡くなった。まだ22歳の若さだった。

 17年前、1994年の夏にジョージ・ストレイトGeorge Strait、ランディ・トラヴィス (Randy Travisと共に社会現象といわせるほどの人気を博したアラン・ジャクソン(Alan Jackson)がネオ・ホンキートンク・カントリー・ブームのカントリー・シーンでエディの「サマータイム・ブルース」のカバー・ヴァージョンをNo.1ヒットさせ、日本でもカントリー・バンドにこぞって歌われ、カントリー・ダンス・ファンに踊られたことがある。また、おたくと呼ばれるロカビリー・ファンによって束の間のエディ・コクラン再評価が起こったりもしたけれど、エディの名前を見たり、聞いたりすると思い出すのは映画『女はそれを我慢できない』と日米ロックンロールの黄金期。郷愁の色は増すばかりだ。

Alan Jackson Summertime Blues

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