vol.218 ディラーズの乱 2

AMERICANMUSIC JOURNEY
アメリカ音楽の旅
文 = 島田 耕
column  vol.218


「ブルーグラス・メモリー」 ディラーズの乱 2

カントリー・ロックの歴史を果たしてどこから始めるかについては、別段の説があるわけではない。単にカントリーとロックが結合した音楽なら、かのエルヴィスに代表されたサン・レコードのロックンロールとロカビリーの50年代まででも遡れるだろうが、アメリカン・ミュージックにおけるロックの一分野としてのカントリー・ロックということになると、ザ・バーズの『ロデオの恋人』(“The Sweet hearts of Rodeo”)、ボブ・ディランの『ナッシュビル・スカイライン』からはじまったというのが一般的に知られていることだ。そして、これらの影響下から登場したザ・バーズと袂を分かったクリス・ヒルマンとグラム・パースンズのフライング・ブリトウ・ブラザーズ、バッファロー・スプリングフィールドから生まれたポコ、元ディラーズのダグ・ディラードとザ・バーズのオリジナル・メンバー、ジーン・クラークが結成したディラード&クラーク、ブルーグラスを経由してイーグルズにいたるバーニー・レドンが在籍したハーツ&フラワーズというように、これら南カリフォルニアの一連のバンドが一様にカントリー、ブルーグラスをルーツに新しいロックを発信して無数の追随するグループを輩出した1968年の紹介から幕が開けられるのが普通である。


 しかし、カントリー・ロックに対する明確な自覚をもってこのロックと取り組んだのは多分、「ナッシュビル・キャッツ」等のビッグ・ヒットで知られるラヴィン・スプーンフル時代のジョン・セバスチャンではないだろうか。バック・オーエンズの「アクト・ナチュラリー」をカヴァー・ヒットさせたビートルズもそうに違いない。そしてなんといってもジーン・クラーク在籍時のオリジナル・バーズだから厳密な見方からすれば1965年、いわゆるフォーク・ロックの時代からの現象といえなくもない。するとカントリー・ロックはおよそ49年を経過したことになる。

 この49年間の展望を眺めてきたカントリー・ロック・ファンの眼前を、おびただしい数のグループ、ミュージシャンが現れては消えていった。それぞれ個性的なスタイルで楽しませてくれたものだが、ことブルーグラスにおけるカントリー・ロックの発展の跡を辿ろうとするとき、巨大な支柱となったミュージシャン、グループを挙げてみるならディランでもザ・バーズでもない。なにを差し置いてもディラーズを挙げないわけにはいかない。ジーン・クラーク&ゴズディン・ブラザーズやフライング・ブリトゥ・ブラザーズ、ディラード&クラークのエクスぺディションを推す向きもあろうけれど、ロックやフォークがカントリーに接近することで創造されたカントリー・ロックの分野にあってブルーグラスというトラッド一色に塗りつぶされたグループが逆にロックに接近し、ロック・バンドになったという異色の例はディラーズをおいて他にはない。

カントリー・ロック不朽の名作
NGDBの『アンクル・チャ—リーと愛犬テディ』(1970年)
サザン・カリフォルニアという土地柄にふさわしい明るさと若者らしい進取の気性に富んだ音楽性で、ケンタッキー・カーネルズ、ゴールデン・ステイト・ボーイズと共にL・Aブルーグラスの象徴的存在であったディラーズがビートルズのハーモニーとザ・バーズのフォーク・ロックに感化され、ファンタスティックなロックの新しい波「カントリー・ロック」に転向したのは1966年頃から67年にかけてであった。L・Aブルーグラスがビートルズに代表されたブリティッシュ・インヴェンションと呼ばれた英国ロックの台頭とフォーク・ロック・ブームによる危機的状況の最中のことであった。ビル・モンロー、スタンレー・ブラザーズ、レノ&スマイリーの由緒正しきブルーグラスに対するアップタウン・ブルーグラスなどとも呼ばれ、カントリー・ジェントルメン、グリーンブライア・ボーイズと共にモダン・ブルーグラスのご三家と呼ばれたディラーズのカントリー・ロックへの転向は日本のファンをも驚かせた。しかし、ディラーズの勇気ある選択がどんなにブルーグラスのモダン化、プログレッシヴ化への原動力になったかは70年代のニュー・グラス・リバイバル、そのリバイバルの母体となったブルーグラス・アライアンスの初期パフォーマンスを聞けば明らかなことだ。さらに、ロックやフォークの分野からブルーグラスに注目していた、例えばニッティ・グリティ・ダート・バンドのようなバンドにとってディラーズの存在は想像以上に大きかった。カントリー・ロックとダート・バンドの名盤の誉れ高い『アンクル・チャーリーと愛犬テディ』はその証。ディラーズからのブルーグラスの手法用いたカントリー・ロック・ショック抜きにはなにも語れない。とりわけイアン・マシューズのようなカントリー・ロックでアメリカン・ドリームをまさに夢見たブリティッシュ・ミュージシャンにとってディラーズは格好のお手本であった。



 ディラーズ以前にフォークやカントリーに素材を求めてブルーグラスを新しい方向へ向かわせようと試みた意欲的なバンドは、いちはやくビートルズのユニークな音楽性に魅せられ『ビートル・カントリー』(1966年)を発表、話題になった東海岸ボストンのチャールズ・リバー・ヴァリー・ボーイズなど少なからずあったけれど、それらはいずれも内なるものからの変化であって、ブルーグラスを少しも逸脱するものではなかった。精神までをもロックに浸らせ、ブルーグラスをロック・ビートで演じ、うたい、ビートルズ風にコーラスした最初のブルーグラス・バンドとなるとディラーズをおいて他に見当たらない。その歴史的アルバムが1968年12月に発売された『麦藁組曲』(「Wheat Straw Suite・The Dillards」)。それはフォーク・リバイバリスト然としたアコースティックなブルーグラス転じ、メンバーも一新、装いも新たなニュー・ロック気分のエレクトリック・ディラーズの誕生であった。


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