vol.219 ディラーズの乱 3

AMERICANMUSIC JOURNEY
アメリカ音楽の旅
文 = 島田 耕
column  vol.219


ブルーグラス・メモリー」 ディラーズの乱 3 


ディラーズのフォーク、カントリー・ロックを
不動のものにしたアルバム『ルーツ&ブランチズ
ジム・ディクソンーかのポール・サイモンの「サウンド・オブ・サイレンス」のエレクトリック・ヴァージョンがトム・ウイルソンという東海岸のプロデューサーがいなければ成しえなかったといわれたように、ザ・バーズの結成もジム・ディクソンがいなければなかっただろうといわれている1960年代フォーク・ロック誕生のいっさいに関わったとされているアメリカ西海岸伝説のプロデューサーである。ディラーズのブルーグラスからフォーク・ロック、カントリー・ロックへの転向、「ディラーズの乱」もまたジム・ディクソンによって仕掛けられたものだった。

 ディクソンのブルーグラスとの関わりは当時フリーのプロデューサーとしてスタジオに出入りしていたディクソンがディラーズのエレクトラ・デビュー・アルバム『Back Porch Bluegrass』(63年)の制作を手がけることから始まった。

ディラーズのフォーク・ロックは
『COPPERFIELDS』(1970年)で完成した

 その後ワールド・パシフィック・レコードの準プロデューサーの職を得て課せられたヒット・アルバムの制作を、当時セッション・ギタリストから歌手として売り出し中のグレン・キャンベルを主役にしたアルバム『12 String Guitar』のバック・バンドとしてディラーズを起用することで実現させると同時に、ナッシュビルから来たドブロ奏者タット・テイラーの『12 String Dobro』に、当時これもディクソンがプロデュースしていたゴールデン・ステイト・ボーイズのクリス・ヒルマンとロサンゼルス滞在中だったビル・キースを、『12 String Guitar Vol・2』ではディラーズと並ぶカリフォルニア・ブルーグラスの、これもディクソンの支配下にあったケンタッキー・カーネルズを起用、クラレンスのギターをフューチャーした『Appalachian Swing』ではディラン・ソング“Mr. Tambling Man”のブルーグラス化を提言するなど積極的にブルーグラスとモダン・フォークの融合から生まれるコマーシャル・ミュージックを制作、併せてブルーグラスのフォーク・ロック化をも画策した人物だった。





 カーネルズに断られた“Mr. Tambling Man”は当時ジェット・セットと名乗っていた後のバーズに持ち込まれ、フォーク・ロック誕生の歴史的な第一作となるが、その声のハーモニーをトレーニングしたのがディラーズの、マンドリン奏者ディーン・ウエッブだったというから面白い。さらにゴールデン・ステイト・ボーイズをヒルメンに改名させ、そのクリス・ヒルマンをザ・バーズに誘いこんだのも他ならぬディクソンだった。


 当時の主要なカリフォルニア・ブルーグラス・ミュージシャンを思い出してみてほしい。ディラーズを筆頭にバーニー・レドン、ドン・べック、ケニー・ワーツ、メイン・スミス、ピート・グラント、クリス・ヒルマン、ゴズディン・ブラザース、デヴィッド・ネルソン、東海岸から移住してきたピーター・ローワン、デビッド・グリスマンといった面々が60年代中頃を境に符牒を合わせたかのようにフォーク・ロック、カントリー・ロックへ転向していったことを。

 ビートルズのアメリカ上陸の1964年2月8日以降のフォーク・ソングとボブ・ディランのエレクトリック化と、バーズのエレクトリック・フォークを指して「イギリスの侵攻」に対するアメリカの回答とはよくいわれてきたことだけれど、巷間に伝わるウエスト・コースト・フォーク・ロック・グループの乱立と相次ぐブルーグラスのロックへの変身はジム・ディクソンの手腕に倣った第2、第3のバーズによるアメリカの夢を夢見た狂想曲のなせる業。ドミノ現象だったといっていいだろう。しかし、フォーク・ロックの時代に錦上花を添えた音楽がブルーグラスだったというのはあながち誇張ばかりではない。

 時代はフォーク・ロックが全米的な様相を呈しつつあった1965年から66年。ヒット・パレードにはバーズ“Mr. Tambling Man”“Turn! Turn! Turn!”、ディラン“Like A Rolling Stone”、ソニー&シェール“I Got You Babe”、バリー・マクガイア“Eve Of Destruction”、ラヴィン・スプーンフル“Summer In The City”、ウィ・ファイヴ“You Were On My Mind”、サイモン&ガーファンクル“The Sound Of Silence”、ドノヴァン“Mellow Yellow”といったフォーク・ロックがモダン・フォークにとって代わってアメリカン・ポップスの新しい波として社会現象となった時代だった。

 ディラーズの分裂はダグ・ディラードがバーズのジーン・クラークとディラード&クラークを結成した67年のことだった。逸早くブルーグラスからの脱出を図ったものの、フォーク・ロックのロマンティシズムとビートルズから触発されたハーモニー、電気楽器とバンジョー、マンドリンとの大胆な融合から成るフォーク・ロックということではジム・ディクソンにプロデュースされた新生ディラーズが明らかに時代を先取りしてブルーグラスからのフォーク・ロック、最初のグループとなった。そのアルバムが『Wheatstraw Suite』、「ディラーズの乱」の始まりである。ロドニー・ディラード(ギター)、ディーン・ウエッブ(マンドリン)、ミッチー・ジィエン(ベース)にハーブ・ピダーソン(バンジョー)を迎えて作りあげたディラーズの革新的とも評されたハーモニーはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングに発するウエスト・コースト・サウンドを象徴する、かのファンタスティックなハーモニー・ヴォーカルの原型として存在するものだ。それは、続く『Copperfields』( 7 0 年)によって確信となり、『Roots & Brunches』(72年)で不動のものとなった。





 なかでも、思考を巡らせ、経験と技量を惜しみなく注ぎこんだ“Same Old Man” “Yesterday” “Rain Man”の細部の美とこまやかなハーモニー。フォーク・ロックにブルーグラスのスパイスをふりかけた“West Montana Hana”“Ebo Walker”、60年代ベーカーズフィールド・カントリーの匂いが彷彿するあたりも心地よい“Close The Door Lightly”。ブルーグラスにおける「ディラーズの乱」は『Copperfields』をもって成ったとしたい。

 アメリカン・ロックの伝統そのものがイギリスのロック・グループによって侵略、否定された60年代、沈滞するアメリカン・ロックに苛立ちを覚えていたファンに新鮮な刺激を与え、アメリカン・ロックを蘇生させたバーズと共にディラーズのフォーク、カントリー・ロック・グループとしての突出した素晴らしさを、改めて聞き直してみたいと思う。

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